経緯

2015年、私は初めての子育て一年目でした。
夫は住宅会社で現場監督をしていました。
住まいは40㎡の1LDKマンション、子どもが活発に動き回り始め、早急に住まいを考え始めました。

私の実家の隣に土地がありましたので、両家の承諾を得てその敷地に新築することになりました。
また、住宅会社についても夫の勤め先ということで、即決でした。
こうして我が家は最初の二つの「土地決め」と「住宅メーカー決め」という大きなハードルをすんなりとクリアしました。

設計については私の方がキャリアが長く、住宅に関しては夫の方が専門で、
意見がぶつかることもあるかと心配していましたが、なぜか各自こだわる事とどうでもいい事がうまい具合に異なり、スムーズに進みました。

間取りはお互いに出し合い、ダメ出しをされたら少しムッとなるけどそれでも二人で進めていくことは楽しく、どんどん形になっていきました。
最終的にはほとんど夫の案に私が細かい要求をしたような形です。
これは結果論ですがこのような形でスムーズにいってよかったと思っています。
あまり2人が主張しすぎると、取り返しのつかない争いになることもあるかと思いますが、
私はこの時考えていたコンセプトは「仲良く暮らす家」ですので喧嘩をしてまで家を建てたくないと思っていたのです。
夫は夫で、今までたくさんの住宅を建てて、自分の場合はこうしたいああしたいということが膨らんで、
それを実現できるということでとてもワクワク前向きになっていました。

こうして工事が始まり、無事に竣工を迎えることができました。

2022年06月02日

 間取り

敷地が南北に細長く、幅7m弱、奥行き45m以上の約100坪の敷地です。 普通は建てにくいと敬遠される土地ですが、夫は「おもしろい!」と敷地をみた時からプラスに考えていました。
玄関を入り、パントリーの大型収納があり、扉をあけるとLDKのキッチンです。その奥に洗面、物干しスペース、トイレ、浴室、ウォークインクローゼット、個室となっています。

全体配置図(画面左が南側です)

1階全体平面図

1階北側平面図

1階南側平面図

2階平面図

 

普通は南側にリビングを、という点からは割り切った間取りですが、南面していないリビングに今まで何も不満を感じたことはありません。

通常、LDKへの出入りはリビング又はダイニング側が多いかと思いますが、
夫が「くつろいでいるリビングにいきなり入ってこられるのは気になる。ワンクッションほしい。」
という考えで玄関からキッチンに入る形になっています。
また、玄関から入るときにキッチンを通ることへの抵抗感ですが、これも全くありません。
高いカウンターで目隠しがありキッチン側が丸見えではないからだと思います。
むしろ冷蔵庫までの距離が近いため毎日とても助かります。


階段はリビング内に直線階段を設置しています。
安全上直線階段は躊躇しましたが、通常の住宅階段よりも勾配を緩くしておりますのでこれまで危ないと感じたことはありません。


 

私の家の間取りで変わっているのは、2階建てなのにトイレが1階に2か所あることです。
2階にはなく、1階にLDKを挟む形で2つです。
5人家族の想定でしたのでトイレ2か所と言いう事は早い段階で決まりました。
私は当然のように2つ目を2階に設置しようとしていたのですが、間取りをしているうちに1階の方がおさまりよくなりました。
そこで夫婦で相談してみると、2階のトイレは使用頻度が低く掃除をするのが面倒というのをよく聞くけど、
よく使うトイレが2つあればそちらの方が使いやすいのではないかということになりました。
2階からわざわざ1階にトイレのために降りるのは億劫ではないかという話も出ましたが、
そこまで個室にこもってほしくもないということもあり決定しました。

実際は、、、とても便利です。
2階にあればよかった、と思う事より、使いやすいトイレが2つある安心感の方が上回ります。
もっとも、子ども達が大きくなってどう思うかはわかりません。それはまたその時追記していきたいと思います。


トイレがない2階は個室を3部屋のみです。
2階をしぼったことで最小限の廊下ですみました。
また、子ども達が小さいうちは家族全員で寝られるよう2部屋は区切らずスタートしました。
主寝室は、将来子ども達が個室をもち巣立つまでの短い期間の利用なので最小限の広さで1階に設置しています。
LDKが収納を含めると30畳と広くとっている代わりに、各個室は最小限です。
最小限ではありますが、収納は各個室に充分とることは重要視しています。

 

2022年06月02日

 キッチン

我が家のキッチンはアイランド型です。アイランド型のキッチンを3方向1300mmのカウンターで囲っています。
奥行きは900mmです。


キッチンの奥にお鍋やお皿を置くことができ、作業スペースを広くとることができます。
通常であれば背中側のカウンターにお皿を並べたり仮置きしたりとするかと思いますが、
私はその振り返る作業を極力減らし正面を向き続けて料理ができるように考えました。
これがとても快適です。
我が家の場合は、キッチンの奥行き方向は間取り上余裕があり、キッチンの奥行きを拡げることによる支障がなかったため実現できました。
間取り上、キッチンの奥行きをとるとリビングが狭くなる、といった場合は横に拡げることを考えてもよいかもしれません。
キッチンの標準仕様は2550mmであるメーカーも多いです。
2700mmにして150mmの作業スペースをとるだけでも毎日の料理は変わってきますよ。
ぜひキッチンの仕様を確認してください。
また、食洗器はASKO製の幅60cmを導入しました。
カテラリーラックの使いやすさ、乾燥具合、金額を重要視して選んだ結果ですが、とても満足しています(キッチン高さは860にしています)。
休日は朝昼で一回、夜一回の計2回、平日は朝夜まとめて一回といった使い方です。
5人家族ですのでこれで満杯になりますが、鍋も水筒も一緒に洗えています。
海外製のネックとなる乾燥ですが、並べ方を失敗すると食器の底の裏側(高台)に水が残ることもありますが考慮して並べると水は残りません。
水滴もなくカラっと乾いた状態で出てきます。
現在は各メーカーのカタログにもオプションで海外製の食洗器が載っていたりします。
高いから、、と最初から敬遠せず、せひ一度実物をみて毎日の家事軽減をご検討ください。

 

 

2022年06月02日

 洗濯動線

家をつくるときに、私はまず衣類関係は洗濯機まわりに集約したいという希望がありました。
そして家族の衣類は一階にウォークインクローゼットをつくりそこに全部ハンガー掛けで収納したいと思っていました。
というのも、私は自分自身あまり部屋で着替えをしてこなかったため、なぜ部屋にクローゼットがあるのだろうと思っていたからです。
高校生くらいになり私服を着る際は自分の部屋で悩みながら選んでいた覚えがありますが、
小学生の頃は朝起きたら寝るまで二階の自室には戻らないということも少なくありませんでした。
冬にはリビングのストーブの前かコタツの中で着替えていたくらいです。

着替えのために2階にあがるということになんとなく違和感があった私は1階で完結したいと夫に相談しました。
ですが夫は「俺は自分の部屋でゆっくり着替えたいけどな」と言われ、びっくりしましたが、
ああなるほどそういう考えもあるんだなと長年疑問だったことを納得することができました。
夫も、小さいうちは下で着替えられる方が楽ということには納得してくれたようで、
結果的に我が家は「小さい頃は1階でウォークインクローゼットに集約させる。
自分で部屋で着替えたくなったら個人の部屋のクローゼットで管理する」ということに決まりました。
このように書くと大げさですが、実際は多くの家庭でこのような形になっているかもしれません。
ただ、その想定のウォークインクローゼットがないと、
1階で着替えをする期間は洗面所やリビングに衣類収納があふれてくるということになってしまうのではないでしょうか。
こうして、脱衣室のまわりに2畳程のウォークインクローゼットを設置するということが決まりました。
子ども3人分の衣類と私の衣類は脱衣室横のウォークインにまとめ、夫の衣類は主寝室奥のウォークインに置きます。

ウォークインクローゼットは基本的にはハンガーで吊るし子ども達が自身で選べるようになっています。

そして季節外の衣類は引き出しに収納するという形です。
子どもが大きくなり各部屋で洋服を管理するようになっても、お風呂上がりのパジャマや部屋着はこのウォークインに収納する予定です。
そして空いたスペースに夫の分の洋服を収納し、主寝室横のウォークインは書斎として利用しようと思っています。
次に洗濯の干し方です。
当初は廊下からフラットで出られるテラスをつくろうか、南に大きなテラスをつくろうかと悩んでいました。
ちょうどその頃PM2.5が話題になっていましたが、あまり気にしない私は雨の日はどうしようかなと室内干しスペースを探していました。
ですが友人と話している時に「外に干す必要なくない?天日干しのよさより埃やPM2.5の方が気にならない?」と言われ、

当たり前のように外に干さなきゃと思っていた私は衝撃をうけました。
そこで改めて外に干すメリットを考えてみましたが、天気がいい時に早く乾く・日に当たり気持ちがいい、位しか思いつきませんでした。
それよりも、雨が降るとぬれる・天気チェックが必要・夜に干せない・夕方には取り込まないといけない、

というデメリットの方が私には大変な問題だと思いました。
そこで私は毎日室内干しをすることを前提に洗濯動線をまとめ、下記のようになりました。

干す場所は東側の1畳のスペースです。
夏は吐き出し窓を開け風を通します。
雨が続き湿気が高い場合は除湿器を使ったり、浴室の中に干して浴室乾燥機を使う場合もあります。
この切り替えを行う動線もとてもスムーズで、
我が家の毎日の洗濯にかかる時間は、乾いたものをしまう作業に3分、干す作業を入れても全部で10分ほどです。
また、リビングで遊んでいる子どもを見ながら作業できることも、子どもが小さいうちはとても助かります。

我が家の洗濯動線はほとんど完璧に出来上がり、実際に毎日利用していてもこのような形にしてよかったと痛感しています。

 

2022年06月02日

 熊本地震を経験して

”おすすめしたいこと”でも紹介しておりますが、私は2015年10月に自宅を新築し、2016年4月に熊本地震を経験しました。
建築士としてではなく、ここは地震を経験した一人として、地震の際に何が起こったのか何を感じたかを記したいと思います。

4月14日

前震となった14日の夜、我が家は長女の一か月と甥っ子の誕生会をして普段より遅くなり、歯磨きをして寝ようとしていたところでした。私・夫・2歳になった息子・まだ首が座っていない一か月検診を終えたばかりの娘の4人で、リビングで手が届く範囲に座っていました。
そこにすごい音と共に大きな揺れがありました。
私がまず思ったのは隣に住む両親の心配です。築30年近い3階建ての木造住宅に住んでいます。
大変なことになったと思い、娘を夫の胸に渡し慌てて隣に走りました。
家も両親も無事でしたが、部屋は倒れたもので散乱していて、私はすぐに自宅へくるように呼びました。両親の自宅は危ない、私の自宅は大丈夫、と無意識に選択していました。
というのも、我が家は何も倒れていなかったからです。普通であれば外に避難しなければいけないのですが、自宅は地震前と何も変わらないし幼い子ども2人を連れて夜の外に出ていくという考えがありませんでした。
ただ、いつでも逃げられるように、そして上に何か載っている場所は怖いと思い2階がない部分の1階のリビングで過ごしました。
子ども達はすぐに寝ましたが私は怖くてほとんど眠れませんでした。
地震直後の室内の写真です。何も倒れていません。洗面台のボトルも倒れず立っていました。

 

4月15日

朝になっても余震が続き、小さな揺れには慣れてきましたが時折来る震度5の地震はとても恐怖でした。
しかし、停電もなく、水も出る、部屋はいつも通り、ということで普段に近い1日が始まりました。夫も父も仕事に行き、母も祖母の所に様子をみに出掛けましたので、私は2人の子どもと3人で家に閉じこもりました。
娘は母乳しか飲まない時期ですので私が母乳をあげられなくなると大変なことになると思い、常に手が届く範囲に寝せてました。大きな余震の時には3人で固まり地震が収まるのをジッと耐えていた記憶があります。
お昼になり、私は以前から予約していた産後ケアに行くことにしました。こんな地震の後にいくものか悩みましたが、中々予約が取れないため行けるなら行きたいという思いがあったからです。先生の家でも時々余震があり「昨日は怖かったですね早く余震おさまってほしいですね」と話していました。普段は箪笥の上に並べてある写真や人形がおろしてあり「確かに今は危ないな」とのんびり思った記憶があります。
帰り道にスーパーに寄りました。その時は普通にお店も営業していて水も並べてありましたが、我が家は水が出ていたし子ども達を連れていて余裕がなかったのでので「落ち着いたら買いだめしておこう」と通り過ぎました。今思うと暢気だなと反省しています。非日常があったばかりなのに、もうあんな非日常的なことは起こらないだろうとやっぱり楽観視していたのです。
無事に帰れて夕食を済ませ、子ども達を2階に寝せました。仕事から疲れ切った夫が帰ってきましたが、子ども達と離れているのが怖かったので私はなるべく2階にいました。両親は今日は家で寝たいといい、隣の家に帰っていきました。私も危ないよとは言いつつ、疲れたし家で寝たいのもわかるなと本当に暢気に考えていました。


4月16日

日付が変わっても余震は度々ありましたが、疲れたしもう寝ようと思っていたところにものすごい本震がきました。この揺れは昨日と同じだ怖い、と思い慌てて夫を呼びました。夫に子ども達をみててもらい、私はまた隣に走りました。「危ないからもううちにきて!」と叫びながら呼びましたが、両親も怖かったのでしょう、すでにこちらに向かっていました。
無事を喜び、親戚の安否を確認しながらも家の中をみましたが、やはり物も落ちたり倒れたりはしていません。ただし、冷蔵庫が水平に移動していました。停電し、水も止まりました。でも、家の中は大丈夫、ということで私達はなんと本震の夜に布団で寝たのです。丸一日地震の恐怖と戦い、夫は仕事で疲れ切っていたのでとにかく明日もあるから体力貯めないとと思い寝ました。
後で聞くと、本震の後に家にいた人はほとんどおらず、皆避難所か車中泊で不安な夜を過ごしていたそうです。

朝起きると、熊本は大変なことになっていました。前震も本震も最大震度は震度7となっていますが、実際感じた被害は本震の方がとても大きいものでした。
夫は相変わらず仕事に行きました。この時期は住宅会社で監督をしていましたので、建築途中の現場を確認したり被害に遭われた住宅の対応に追われたりと本当に大変な状態でした。とても不安で家に残ってほしいとは思いつつも、自分は安全な環境にいられるので無理は言えませんでした。
私は相変わらず家にこもりました。外で遊ばせるのも怖く、とにかく家が安全だと思っていたからです。
停電はすぐに復旧しましたが、断水とガスの湯沸かしが使えませんでした。水が出ない不安はありましたが、地震が起きた直後に貯めたものや、近所の井戸水で凌ぎながら、被害がなかった親戚に届けてもらったりでなんとかなりました。もし、家にいられない状態だったら、私は2人の子どもを連れて給水に並ばなくてはいけない状態でしたのでとても助かりました。湯沸かしは安全装置が働いたのかエラーになり初期状態に戻す対応をしたかったのですが、余震の中子ども達を家に残し一人で外の貯湯機で作業することがとても不安だったことを覚えています。結局初期化することができず一週間ほど使えませんでした。しかしガスコンロは使えたため、コンロでお湯を沸かし、小さなベビーバスで毎日子ども達をお風呂に入れてあげることができました。


食事は幸い冷蔵庫が機能していましたのでしばらく冷凍していたものを中心に使いました。またいつ停電になるかわからかなったため、常温のものはなるべくとっておき冷蔵庫の中のものを優先したのです。特にご飯があればなんとかなると思い、なるべく炊飯器を空にせず、おのぎりを作って保存しつつ炊飯し、3食分程のご飯は確保するようにしていました。同じように、ホームベーカリーでパンも焼きました。また、水を節約するため使い捨てのお皿を使いました。
お店は開いているところもあったようですが、コンビニでも一人3点まで、といった制限があるようでした。夫は被害が大きい熊本市周辺だけではなく、県内各地を回っていましたので、被害が少ない地域で普通に買い物をすることもできたようです。ただし、災害時に適したレトルトや即席めん、水などは離れていても県内では完売していたようでした。調理が必要な食材はほとんど問題なく手に入れることができましたが、我が家も、水が使えない冷蔵庫もいつとまるかわからない料理する余裕もないという状況で、あまり食材は購入していません。それでもいつもと同じような食事を地震直後からとることができ、恵まれた環境だったと思います。
このような環境でしたので、長男と同じ2歳の甥っ子も我が家に呼び一緒に生活をしました。住んでいたマンションは無事だったようですが、余震の間マンションで過ごすのは怖く車中泊するということでしたので、それよりは我が家の方がいいのではということで半ば強引に呼び寄せました。
そしてしばらく我が家は両親と甥っ子家族と一緒に過ごしました。

 

本震後

そのような状況で余震に耐え続けました。このような大きな地震を経験して初めて知ったのですが、地震が来る前には音がします。地下から、言い表しようのない地鳴りのような音がして数秒後に大きな揺れがきます。家がゆれる音もすごいです。そして外からは何かが落ちるようなぶつかるような音があちらこちらから聞こえます。しかし私の家の中は、家が揺れに耐えるような音がするだけで物がおちるような音がしないためそれだけでも不安は随分と軽い方だったと思いますが、それでも二度とあの音は聞きたくないと思っています。
我が家の断水は3日で解消されました。多くの地域でもインフラは一週間で回復していたようです。
私は、その後も二週間家に子ども達と家にこもりました。二週間経ってやっと余震が落ち着いてきたという感覚がありました。
地震後、初めて市内を車で走っていると地震の爪痕はとても凄まじいものでした。道路もガタガタで、埋設されている配管が無事ではなかったことが一目でわかるのです。この状況で一週間でインフラを回復させる日本の力はすごいなあと心から感心したのを覚えています。そして、あちこちで災害派遣の車をみかけました。日本中で熊本を支援してくれているんだととても嬉しく、長男と一緒に「ありがとう」と手を振っていたら笑顔で応えてくださったのが印象的でした。
また、私は今まで被災した方は避難所で過ごし支援をうける立場にあると思っていましたが、全く違うことを知りました。被災した方々にも仕事があり、避難している状況でも仕事にいかなければいけない、むしろ通常よりも災害時は大変であるということです。インフラ関係のお仕事の方はもちろん、どんな仕事でも仕事場を復旧させたり二次被害を防いだりお客様対応をしたりと日中は休んでいる暇がないのです。お仕事が休みになった方は、避難所などの対応を任されたりします。ボランティアの方も全国から来てくださいますが、地域を理解している地元の方の力も必要です。その状況で夜は避難所で休息もとりにくく、人目を気にされて車中泊される方も多いですが、快適とは言えません。
実際、夫も父も通常では考えられないような大変な仕事をして帰ってきましたので、家ではぐったりしていました。私達が避難所で過ごしていたら、2歳の長男は活発な時期でジッとできずでも一か月の子もいるため身動きできず、日中は周りの方々にお世話になり夜は夫に負担をかけ大変な状況だったと思います。熊本地震の時は、乳幼児がいる被災母子を隣県の宿泊施設に一時避難するという救済プロジェクトがありましたので、私は家が使えなければその一時避難を利用させていただいたと思います。しかし、初めての2人育児で、非常事態のあとで充分な準備がないまま慣れない地域で3人で過ごすということもなかなか大変な事だと思います。ですので、やはり地震のあとも家で過ごすことができたというのはとてもありがたいことでした。
同じように、介護が必要な方が家にいる場合も避難所で過ごすことも車中で過ごすことも難しいです。私の義母は義祖母を自宅で介護していましたが、避難所に行くという選択肢は全くなかったと言っていました。家の中も危ないことはわかっているけど、避難所では過ごせないというのです。確かに義祖母の日頃のようすからは、避難所はとても難しいと思います。前述したような乳幼児避難のような救済策があればと思いますが、避難所で過ごされている高齢者は乳幼児の比でない人数ですし、大変なのは皆一緒でどのような基準で優先するかなどと考えるとやはり難しいのかもしれません。

 

ですので、私は各家が強くなり、避難せず過ごせる家が増えてほしいと願っています。
自身で体験してわかりましたが、今の日本の耐震技術は素晴らしいです。古い家屋が倒壊している地域で、家具も瓶も何も倒れないという家が実現できます。
我が家のように子どもが産まれたばかりの時はもちろん、集団生活が難しい子どもの時も思春期の時も介護が必要な人が同居している時も長い目であれば色々な時期があると思います。そのような時に地震がくることは決して0ではありません。そして自宅で過ごせる人が増えれば、避難所で過ごす方々も負担が減っていくのではないでしょうか。


地震にあった時の地震保険もありますが、保険よりもまず新築の時に対応できることはする、その一つの選択肢として木造住宅の制震ダンパーはとても有効だと思います。

2022年06月02日